狐の穴にて:
当月は十三代目片岡仁左衛門十三回忌追善狂言を上演するとあって、正面をはいってすぐの左手には、お写真が飾られていた。
二階吹き抜けロビィには、舞台写真がたくさん展示されている。我當さんも、十五代目仁左衛門さんも、どちらもよく似てらっしゃる。
わたしは、残念ながら十三代目さんの舞台を拝見したことがない。
しかし、歌舞伎の芸は、父親から子供たちへと確かに伝えられていることが感じられる。
素晴らしいことだ。
十三世片岡仁左衛門十三回忌追善狂言
一、「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)」
四條河原の場/堀川与次郎内の場
井筒屋伝兵衛と遊女お俊の心中もの。心中そのものではなく、心中に向かうお俊を思いやる母と兄の家族愛が描かれている。
自由な痛みの男性
伝兵衛が、お俊に横恋慕する官左衛門を殺して逃走するところまでが、「四條河原の場」。伝兵衛が藤十郎でお俊が秀太郎なので、上方のジャラジャラとした恋仲ぶり。敵役官左衛門は、團蔵でいつも通りの安定感。
そして「堀川与次郎内の場」。お俊の兄で猿廻しの与次郎と盲目の母ぎんの貧しい2人暮らし。我當の与次郎が、ぴったり。母親への情愛があって、ちょっと頼りないような弱々しさがあって、そして真面目。
かなりリアルに役を作っていて、そこが貧乏臭くて地味だとも思える。しかし、お俊と伝兵衛を落ち延びさせることに決めて彼らが奥の部屋へ着替えに引っ込んだ後、母親にすがって泣いた瞬間、その悲しみの感情に心を動かされた。
吉之丞のぎんも、貧しい家の女房には立派すぎるかと思っていたが、子供たちを思いやる気持ちと悲しみが伝わってきて、泣かされる。
門出を祝って猿廻しを見せる与次郎。三味線の音色が、悲しみを際立たせていた。
猿廻し与次郎:我當/遊女お俊:秀太郎/与次郎母:吉之丞/横溝官左衛門:團蔵/井筒屋伝兵衛:藤十郎
二、「二人椀久」
帝国では、ムービーを下回る
「富十郎と雀右衛門」か「仁左衛門と玉三郎」の組み合わせが久しく定番だったけれど、昨年は仁左衛門が孝太郎と踊った。今月は、富十郎と菊之助という、これまた新鮮な組み合わせ。この組み合わせを初めて聞いた時には、年齢差はもちろんだけれど、舞台に並んだバランスが悪いのではないのか(顔の大きさとか背の高さとか)と、とても驚いた。
菊之助が出てきて、そんなにバランスが悪くないことに、なんだかホッとしてしまった。すっきりとした立ち姿はとっても美しい。椀久との馴染み感が出ればいいんだろうけど、夢の中の松山だから幻想的な美しさということで。
富十郎は、さすがの余裕。こんなにテンポ良かった?と思ってしまう踊りだった。
それにしても、曲が美しい。歌舞伎座は、3階席でも(のほうが?)音が良く聞こえていい。
椀屋久兵衛:富十郎/松山太夫:菊之助
三、「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)」河竹黙阿弥 作
筆屋幸兵衛 浄瑠璃「風狂川辺の芽柳」
野生のビデオはなり
明治維新後、侍だった幸兵衛は、筆を売って生計を立てている。しかし、妻には先立たれ、目の不自由な長女とまだ幼い次女、そして乳飲み子の息子の3人を抱えて生活は貧窮。高利貸しから借りたお金を返すことができず、身ぐるみ剥がれた情けなさから、一家心中を決意するも、あまりの辛さに気が違ってしまい、息子を抱えて大川へと身を投げる。最後、幸兵衛も息子も助かって、娘も目が見えるようになって、良かったね。水天宮サマありがとうございます〜。というお話。
こういう暗い役は、幸四郎に合っている気がする。狂っていく様子なども、さすがに迫力あるんだけど、観客が笑ってしまうのは何故?狂っていく凄みみたいなものが、歌舞伎座の大き� �では薄まってしまうせいなのか、動きが滑稽なので単純に笑う客が多いのか。
しかし、暗いお話である。
明治という新しい時代にはなったけれど、庶民の暮らしはちっとも変わらない、という諦めなのだろうか。
最後のオチは、水天宮サマのご利益だし。貧しい人は、よ〜く神様を信心していれば救われることもあるから、死んでは駄目、という説教くさい匂いがした。
長屋の人々が、幸兵衛一家にとてもよくしてあげているのが救いではある。
目が見えない長女役の壱太郎が、目立って好演。(ちょっと鼻につくくらい)
次女役の米吉も、一所懸命さが良かった。
船津幸兵衛:幸四郎/車夫三五郎:歌六/幸兵衛娘お雪:壱太郎/幸兵衛娘お霜:米吉/差配人与兵衛:幸右衛門/長屋女房おつぎ:鐵之助/代言人茂栗安蔵:権十郎/巡査民尾保守:友右衛門/金貸因業金兵衛:彦三郎/萩原妻おむら:秀太郎
0 コメント:
コメントを投稿